2011年1月31日月曜日

「ぼく」とはいったいなんだろう? 永井均『<子ども>のための哲学』


著者:永井均

関連項目
哲学
独我論
ウィトゲンシュタイン
ダメット

感想:永井均による、哲学をするための入門書。最近の流行やギリシア以来の哲学の大聖堂とは無関係に「自分ひとりで」哲学することについて書かれている。僕自身は永井の問題意識はあまりピンと来なかったけど、最後の”哲学とは?”の部分がおもしろかった。


あわせて読みたい
脳はなぜ「心」を作ったのか「私」の謎を解く受動意識仮説 (ちくま文庫)

2011年1月29日土曜日

キュヴェ・ド・ペナ

ワインの名前:キュヴェ・ド・ペナ




ヴィンテージ:2006
種類:赤
原産地:ラングドック・ルーション,フランス
値段:1000円
ぶどうの品種:シラー,カリニャン,グルナッシュ
味わい:ミディアム

関連項目
ラングドック・ルーション

感想:スパイシーな味だった

2011年1月28日金曜日

『ハイデガー』ひとの死を死ぬわけにはいかない



ハイデガー
関連項目
存在論
キルケゴール
サルトル
黒い森

感想:異常に分かりやすかった。ハイデガーは超難解なイメージだったが意外と分かりやすかった。キルケゴールより神から離れていてサルトルより神に近い

あわせて読みたい
死にいたる病 現代の批判 (白水uブックス)
嘔吐 新訳

2011年1月26日水曜日

ロミオ&ジュリエット白(2007)




ロミオ&ジュリエット白(2007)
種類:白
原産地:ヴェネト,イタリア
値段:900円
ぶどうの品種:トレッビアーノ
味わい:甘口
感想:ほのかな甘口。飲みやすい(くっ、もっと味を表す語彙がほしいところだ)。

2011年1月25日火曜日

2011年1月22日土曜日

勇気とは「それにもかかわらず」自己自身を肯定することである。ー 「生きる勇気」(ティリッヒ著作集9)読了

読み終わった。

メモ

第5章 勇気と個人化—個人として生きる勇気

135p確定することは難しいにもかかわらずデモーニッシュなものが創造的なものの根底となっているということの発見は、後期ロマンティークにおける発見であって、これがボヘミアニズムや自然主義を経て20世紀の実存主義へともたらされたものなのである。それを科学的な仕方で確認しているものが深層心理学である。

137pしかしかぎりなく具体的であるような現実に対してこのような方法を適用することは、きわめて不適切である。もしも人格的自己が計算や操作の事柄と化してしまうならば、それはもはや人格的自己であることをやめてしまう。

138p
他なる実存に自らの実存を持って参与するという意味において「実存的」といいうるのである。
人間状況の非実存的解釈は、人間実存の持つ有限性や疎外や意味不確定性を、認識や実践において超克できるものと主張している。ヘーゲルの体系は、このような本質主義の古典的表現である。キルケゴールはヘーゲルのこのような本質の体系から訣別したのであるが、そこで彼は2つのことをした。1つは、実存的態度を宣言したこと、他は、実存の哲学の基礎をつくったことである。

139pそれと同時に、彼は、人間が人間の本質から疎外されている状況を、不安や絶望という概念で持って記述する1つの人間論を展開したのである。

140p実存主義的視点の例
プラトン:疎外への転落→本質への復帰/
キリスト教:堕落→救済

148p実践的独我論

150p自然を技術的にコントロールすべく有効に働く機構とか、人間を支配するための精密な心理学的コントロールとか、急速に発達しつつある社会の組織的コントロールとか、こういったコントロールによって作り出されている安全装置は、きわめて高価な代償を持って買い取られたものなのである。その代償とは、人間、すなわちこれらすべてのものがその人間のための手段として発明されたところの人間が、これらの手段にかえって奉仕せしめられる1つの手段と化したということである。

151p-152p
それは、あるボヘミアン哲学者が発明したものでも、ノイローゼ気味の作家が発明したものでもない。またそれは、利益や名声のためになされたセンセーショナルな誇張ともちがうのである。またそれは、否定的なものを病的にもてあそんでいることでもない。こういった要素は確かにその中にはいり込んではきたけれども、その本質はもっと別なものなのである。それは、無意味聖なる不安の表現であり、またその不安をば、個人として生きる勇気のなかへと引き受けようとする試みの表現なのである。

152p人間が作り出した対象物の世界は、その作者である人間をばそのなかへと引き込み、そして人間は今やそのなかで自己の主体性を喪失してしまうのである。

154p絶望する勇気、無意味性の経験、無意味にもかかわらず自己を肯定するという自己肯定、これらは二十世紀の実存主義者たちにおいてあらわとなっているものである。

156pしかし彼自身としては「出口」を持っていた。というのは、彼は「出口なし」ということができるからであり、そうすることによって、無意味の状況を彼自身のなかにひき受けることが可能であったからである。

157pこの彼が異邦人であるのは、どこに行っても彼は彼自身の世界に対して実存的関係を確保できないからである。

162pわれわれが自己自身であろうとする存在への勇気を持つことによって、われわれは罪責を負うのである。

163p「人間の本質とはその実存である」

164p現代のシニックは、彼らの孤独を誇示するためそれを見てくれる人間社会を必要としているにもかかわらず、なお孤独である。彼らは、究極的な意味だけでなく、日常の相対的な意味すら認めない。したがって彼らは簡単にノイローゼ的不安にとりつかれてしまうのである。過度に強圧的な自己肯定や過度に狂信的な自己放棄は、しばしば創造性にかけている人間における自己自身であろうとする存在への勇気の表現形態となるのである。

167p以上の2章は、全体の部分として生きる勇気および個人として生きる勇気を取り扱ったが、そこで示されたことは、前者のラディカルな形態は、全体主義における自己の喪失という結果をもたらし、後者のラディカルな形態は、実存主義における世界の喪失という結果をもたらすということであった。このことはわれわれをして最後のショウの問いへと導く。それは、この二つの形態の生きる勇気を超克することによってその両者を結び合わせるような生きる勇気はあるのだろうか、という問いである。


第6章 勇気と超越—肯定されている自己を肯定する勇気

178p「不義なるものが義とされる」(ルター)→「受け容れられえない者が受け容れられる」
生きる勇気とは、われわれが受け容れられえない者であるにもかかわらず受け容れられているそのわれわれ自身をわれわれが受け容れるという勇気である

179p人間は人格と人格とのかかわりの中に受け容れられるのでない限り、どうしても自己を受け容れることはできないのである。

190p懐疑と無意味に捉えられている人は、そのトラわれから自己を開放することができないのである。こういう人間が求めている解決とは、彼の絶望状態の外で妥当するようなものではなく、その絶望状態の内部で妥当するようなものなのである。
シニカルな言い方かもしれないが、人生にシニカルに対処することがかえって人生の真理に合致するのである。

191p-192pもしもある人が、その経験とは生命力が絶望に抵抗していることだ、というなら、それにつけ加えて本当はこういわねばならないはずである。すなわち、人間の持つ生命力とはその意味指向性に応じて強くなる。無意味性の深遠に耐えうる生命力とは、意味の崩壊の中に潜む隠された意味を知っているからでなければならない、と。絶対的信仰の第二の要素は、無の経験とは存在の経験に依存しており、無意味の経験は意味の経験に依存している、ということである。

198p有神論は無神論を排撃しながらどうしても信仰の状態にのぼりきることはできないものだが、それと同じく無神論もどうしても絶望の状態にまで落ちきることはできないのである。

201p絶対的信仰とは、受け容れてくれる何者かあるいは何者かを持つことなしに、受け容れらていることを受け容れることである。

203p十字架につけられた彼は、彼が信頼していた信頼の神が、彼を、絶望と意味喪失の暗黒のなかに見捨てたときにも、なお彼の神でありつづけたその神に向かって叫んだのである。



205p生きる勇気とは、神が懐疑の不安の中で消滅してしまったときにこそあらわれ出る神に基礎づけられているのである。


「絶望する勇気」というのがいいね




2011年1月20日木曜日

「生きる勇気」(ティリッヒ著作集9)読書中 現在124p

「生きる勇気」(ティリッヒ著作集9)124pまで読み進めた。

 著者パウル・ティリッヒ


若干飛ばしながら読んでる

メモ
第4章 勇気と参与—全体の部分として生きる勇気


90p恐怖は恐怖の対象と取り組む対処の仕方を導き出すが、不安は対象がないためそうすることが出来ない。

91p生命力とは、自己自身を失うことなしに自己を越えて創造するところの力なのである。

98p参与の3つの意味
分け合う
共通にもつ
参加する
これら3つの場合において等しく、参与つまりparticipationとは、部分的には同一であり、部分的には不同一であることを意味している。

104p中世哲学史におけるいわゆる実在論なるものは、じつは、参与の哲学なのである。そこに前提されていることは、論理的にいえば普遍的なものが、具体的に言えば集団的なものが、個的なものよりも、より多くの現実性を持っているということである。



2011年1月19日水曜日

赤城ワイン(白)360ml

ワインの名前:赤城ワイン(白)
種類:白
原産地:日本,群馬
値段:550円
味わい:やや甘い
原産地あれこれ:群馬です。赤城です。裾野が長くて走り屋がいる赤城です
感想:おいしかった

カステル・ヴュー・パープ

カステル・ヴュー・パープ

フランス
710円
やや辛口
フランスのカステル社のテーブルワイン。ヴュー・パープは老法王という意味。
感想:フルーティーでおいしかった

2011年1月17日月曜日

「生きる勇気」(ティリッヒ著作集9)読書中 現在87p

「生きる勇気」(ティリッヒ著作集9)87pまで読み進めた。

 著者パウル・ティリッヒ


話は分かりやすいけど、用語が難しい

メモ

第3章 病的不安と生命力と勇気


83p宗教的アッピールに対し熱狂的に反応することは、真実の自己肯定という観点からすれば、疑ってみる必要がある。宗教によって生み出された存在への勇気は、しばしば、自己自身の存在を制限しようとする欲求以外の何者でもなく、またその制限をば宗教の力を持って強化しようとする欲求以外の何ものでもない場合が多い。

84pこれに対し運命と年に対する病的不安は、それをたとえれば牢獄の中の安全とでも言えるような安全性へと駆り立てられるのである。この牢獄に住む人間は、このように自らに課した制約によってもたらされる安全性から離れることは出来なくなる。しかしこのような制約は、現実の十分な認識によって裏付けられたものではない。したがってノイローゼ的病者の持つ安全性とは、非現実的なものとなるのである。彼は、恐怖すべきでないものを恐怖し、安全でないものを安全と感じている。

85p罪を犯し断罪されるということに対する不安や恐怖があまりにも強く、その結果、責任を負うような決断やいかなる倫理的行動も出来なくなってしまうのである。しかし、そのような決断や行動は回避することが出来ない。そこで彼らはその決断や行動を最小限に限定し、その範囲内で絶対に完全であろうとするのである。そしてこの限定された決断や行動の範囲は、それを超えることを促すあらゆる衝迫に対して防衛されるのである。ここに見出されることも、現実からの遊離の結果、罪責意識が置きちがえられているということである。ノイローゼ的病者のモラリスティックな自己防衛は、罪でないものを罪と見誤らせ、あるいはただ間接的にしか罪とはいえないものを罪と見誤らせるのである。そうしながら、人間の実存的自己疎外を意味する真の罪責の自覚や自己断罪などは抑圧されるのである。なぜなら、そこにはそれらを自己自身のうちに引き受ける勇気が欠如しているからである。

87p第一に、実存的不安とは存在論的性格を持つものであるゆえ、これを除去することは不可能であり、これは存在への勇気の中に取り入れられねばならないものであるということ。第二に、病的不安とは、この実存的不安を自己自身へと引き受けることに失敗した結果として生じるものであるということ。第三に、病的不安は、その自己肯定を制限され固定され現実性を書いた基礎の上に立てるに至らしめ、そしてこの基礎を強烈に防衛するに至らしめるということ。第四に、病的不安は、運命と死の不安との関連において非現実的確実性を作り出すということ。第五に、病的不安は、それが病的不安としてはっきりした場合、医学的治療の対象となるということ。


図星です、まさしく図星です!


2011年1月16日日曜日

「生きる勇気」(ティリッヒ著作集9)読書中

「生きる勇気」(ティリッヒ著作集9)80pまで読み進めた。

 著者パウル・ティリッヒ


話は分かりやすいけど、用語が難しい

メモ

第1章 存在と勇気
12pソクラテスがうまくいかなかったところで私がうまくいくかどうかはわからないが、それにもかかわらず、およそ失敗は避けがたいとしてもそれを引き受ける勇気は、ソクラテス的問題が今も生きているのだということを示すぐらいの役には立つかもしれない。
21pセネカは、「生きたいとも思わず、また死に方も知らない」人間に目を向けている
23p人間は不安を論証によって克服することは出来ないのである。
24pあらゆる欲望や不安にもかかわらずそれに抗して自らの本質的存在を肯定することは、喜びを生み出す。
37p「病者、老者、または死骸に出会うと、彼らはすぐに言う、『生は否定された』と。しかし否定されたのは、ただ彼ら自身である。生存のただ一つの面しか見ない彼らの目、それが否定されただけである」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』)


第2章 存在と無と不安
42p勇気とは「それにもかかわらず」自己自身を肯定することである。
59pもっていないという意識がもっているという意識をのみこんでしまったとき、懐疑は方法的懐疑であることをやめ、実存的絶望となるのである。
65pつまり、無の圧倒的な力を感じるその主体に、それを感じ取るだけの存在が残っているのである
66p絶望は二重になってあらわれる。というのは、絶望から逃れようとして絶望的な試みをするからである。


第3章 病的不安と生命力と勇気
76p-不安が自己肯定の一要素であること、つまりその自己肯定に対し「それにもかかわらず」の質を与え、それを勇気へと転化せしめるところの一要素であることを指し示しているのである。ー
無の不安にもかかわらず協力に自己を肯定することが出来ないような人間は、虚弱な矮小化された自己の自己肯定を余儀なくされるのである。そういう人間は、彼の本質的存在あるいはその潜在的状態における存在ではない、それ以下のものであるような自己を肯定する。
77p普通の人間とは違ったこのような病的人間が、大衆やイエスの弟子たちすら持っていなかった洞察のひらめきを持つことがありうるのである。
文化史が証明しているように、神経症的不安がしばしば、普通の人間の自己肯定の壁を突き破って、正常な状態では隠されている現実の真相を開示するのである。
78pノイローゼ的人格は、無に対するその大きな感受性のゆえに、したがってまたその深刻な不安のゆえに、固定されたーたといそれが制約され非現実的なものであれー自己肯定にしがみつく。それはいわば城であって、彼はその中に閉じこもり、現実からであれ精神分析家からであれ自分の中に入り込もうとする攻撃に対しては、あらゆる心理的抵抗の手段を持ってその城を守るのである。

自分が読んでるのは「生きる勇気」と「愛・力・正義」が収録されてるティリッヒ著作集9巻だけど、平凡社からも「生きる勇気」のタイトルで本が出てる


2011年1月15日土曜日

北海道余市バッカス2010新酒

北海道余市バッカス2010新酒

日本
800円?
やや甘口
感想:甘くてのみやすいがあまりワインを飲んだ気がしない。ぶどうジュースにアルコールを足したような感じ。

ここ6ヶ月ぐらいの間に読んだ本

ここ6ヶ月ぐらいの間に読んだ本

実存・キリスト教
知って役立つキリスト教大研究 (新潮OH!文庫) 八木谷 涼子 (2001-12)
キリスト教の嘘と真実 世界宗教研究会 (2010-09)
生きる意味 諸富 祥彦 (2010-05-21)
人生に意味はあるか (講談社現代新書) 諸富 祥彦 (2005-05-19)
中島義道『私の嫌いな10の言葉』『私の嫌いな10の人びと』『どうせ死んでしまう…… 私は哲学病。』『生きにくい…… 私は哲学病。 』『カイン 「自分」の弱さに悩むきみへ』『怒る技術』『善人ほど悪い奴はいない ニ-チェの人間学』
ニーチェ『漂泊者とその影』(『ニーチェ全集6』)超訳 ニーチェの言葉 (2010-01-12)ニーチェ入門 (ちくま新書) 竹田 青嗣 (1994-09)
キルケゴール『死にいたる病』『キリスト教の修練』(キルケゴール著作集17)
アウグスティヌス『告白(上)』
八木雄二『生態系倫理学の構築』『イエスと親鸞』『天使はなぜ堕落するのか』
ティリッヒ『生きる勇気』(ティリッヒ著作集9)

仏教
今、ここに生きる仏教 大谷 光真,上田 紀行 (2010-11-26)
現代語訳 般若心経 (ちくま新書 (615)) 玄侑 宗久 (2006-09)
神の発見 (角川文庫) 森 一弘,五木 寛之 (2009-10-24)
蓮如―聖俗具有の人間像 (岩波新書) 五木 寛之 (1994-07-20)

小説
人間ぎらい (新潮文庫) モリエール (1952-03)
トルストイの民話 (偕成社文庫) レフ・ニコラーエヴィチ トルストイ (1996-10)
機動戦士ガンダムSEED DESTINY ASTRAY (2) (角川スニーカー文庫) 千葉 智宏(スタジオオルフェ) (2006-06-30)
ブレンパワード〈1〉深海より発して (ハルキ文庫) 面出 明美,富野 由悠季(1998-12)
嘔吐 新訳 J‐P・サルトル (2010-07-20)
機動戦士Vガンダム〈1〉ウッソ・エヴィン (角川文庫) 富野 由悠季 (1993-03)
機動戦士ガンダムF91―クロスボーン・バンガード〈下〉 (角川文庫―スニーカー文庫) 富野 由悠季 (1991-02)
機動戦士ガンダムF91―クロスボーン・バンガード〈上〉 (角川文庫―スニーカー文庫) 富野 由悠季 (1991-01)
機動戦士Z(ゼータ)ガンダム〈第1部〉カミーユ・ビダン (角川文庫―スニーカー文庫) 富野 由悠季 (1987-11)
機動戦士Z(ゼータ)ガンダム〈第2部〉アムロ・レイ (角川文庫―スニーカー文庫) 富野 由悠季 (1987-11)
KAGEROU 齋藤 智裕 (2010-12-15)

歴史
もういちど読む山川世界史 (2009-09)
ビザンツ 幻影の世界帝国 (講談社選書メチエ) 根津 由喜夫 (1999-04)
諸子百家 (図解雑学) 浅野 裕一 (2007-04-24)
地方別・並列日本史 (PHP新書 672) 武光 誠 (2010-05-15)

自伝・人物
自閉症だったわたしへ (新潮文庫) ドナ ウィリアムズ (2000-06)

心理学
マンガ 心理学入門 (ブルーバックス) ナイジェル.C・ベンソン (2001-03-19)
図解雑学 精神分析 (図解雑学シリーズ) 小谷野 博 (2001-11)

その他

日本辺境論 (新潮新書) 内田 樹 (2009-11)
日本の昔話 (新潮文庫) 柳田 国男 (1983-06)
改訂 文学入門 (講談社文芸文庫) 伊藤 整 (2004-12-11)
風姿花伝 (岩波文庫) 世阿弥 (1958-10-25)
いじめとは何か―教室の問題、社会の問題 (中公新書) 森田 洋司 (2010-07)
知らないと恥ずかしい 日本の名作あらすじ200本 (宝島社文庫) 「日本の名作」委員会 (2008-12-05)

2011年1月14日金曜日

生きる勇気


中島義道→ニーチェ→キルケゴール→イエス→アウグスティヌス→スコラ系(八木雄二)→ティリッヒ
という流れで現代に還ってきた

2011年1月4日火曜日

大谷 光真,上田 紀行『今、ここに生きる仏教』

大谷 光真,上田 紀行
平凡社
発売日:2010-11-26


坊さんも家という世俗に縛られてるっていう…

2011年1月3日月曜日

ジャン‐ポール・サルトル『嘔吐』

J‐P・サルトル
人文書院
発売日:2010-07-20



「人間……いずれにしても、あなたはあまり人間に関心がないように見えますが。いつも独りで、いつも本に鼻を突っ込んでおられるのですから」

正直よくわかんなかった。

2011年1月2日日曜日

kagerou

齋藤 智裕
ポプラ社
発売日:2010-12-15

水嶋ヒロ結構小説書くのうまいと思う。普通の作家と比べても遜色ない。でも帯は誇大広告だよ(笑)

意外と無難すぎて反応に困った

2011年1月1日土曜日

『キリスト教の修練』見よ、何たる人ぞ

 あけましておめでとうございます。初夢は学校の中で知り合いからひたすら逃げる夢でした。ニンゲンギライです。

2011年最初の記事はこの本の紹介としよう。
19世紀の絶望に効く薬

キルケゴールの『死にいたる病』の続編です。驚くべし!驚くべし!『死にいたる病』とは打って変わって終始ハイテンションのキルケゴール学士。内容はイエスについての話・キリスト教世界批判・キリスト教徒への戒め・単独者への励まし等々。