2012年10月11日木曜日

堀田善衞『めぐりあいし人びと』(文庫版)


堀田善衞『めぐりあいし人びと』(文庫版)

1998,集英社

58p
 その終わりころになって、一人のインドの詩人が英訳での自作の朗読を始めたんですが、そのなかに「インパールにおいて」というフレーズが聞こえたのです。インパールというのは、第二次大戦のときに日本軍が侵攻したインド東部の場所です。
 それを聞いて、私はやにわに立ち上がって、「今、インパールに触れられたけれども、日本軍はそこに侵入して自らも大きな痛手を受けました。しかし、それ以上にインドの方々をたいへん悲惨な目に遭わせてしまいました。私は日本人の一人の作家として、その責任を取らねばなりませんが、とにかくここで日本軍の非行にたいして謝ります」といいました。
 その夜は何事もなくすんだのですが、その私の発言についてインド側はずいぶんと驚いたらしい。つまり、インドには、公の機関ー軍隊も公の機関ですからーが行なったことにたいして、個人が責任を取るという習慣はないわけです。まあ、別の意味で日本側もびっくりしたと思いますが。
 そして二、三日後に、またまた『ヒンドスタン・タイムズ』に、日本人の詩人が、日本軍の戦争犯罪にたいして謝罪するといった、という記事がでかでかと載ってしまったのです。これはえらい騒ぎになってしまったものだと、いささか慌ててしまいました。
 (中略)
 そのコタ・ハウスへ電話がかかってきて、"This is office of prime minister."という。首相官邸からの電話なんですね。そして、首相のミスター・ネルーがあなたに会いたいといっているから、こちらに来てくれというわけです。

87p
 サルトルと会って話すのは、たいていモンパルナスの彼のアパルトマンでしたが、その部屋はやけに殺風景で、壁には複製の写真の絵しか貼っていないんです。どうしてもっと好きな絵とか飾らないのかと尋ねると、たとえば画廊へ行って、この絵が欲しいというと、金はいらないからもっていってくださいといわれるそうなんです。彼が買ったということが一つの評価になるんでしょう。それがいやだから、絵は買わないんだ、といっていました。そんなところは、いかにもサルトルらしい。

130p
 事情はヨーロッパでも同様で、たとえば南仏のペルピーニアンという田舎町ですが、城壁が町を囲んでいて、中心には広場があるという典型的な中世以来の町があります。その中世の面影をたたえた建物が残っている町に入って行くと、その典型的中世の面影を残す古い中心部に長い着物を着たアラブ人がいっぱいうろうろしているのです。これはなんとも奇妙な光景で、アラブ人が多く入ってきたので、もとからいた人たちはみな、城壁の外へ逃げ出していき、都市の中心部にはますますフランス人が少なくっているのです。
 そういう奇妙な風景は、日本でも原宿あたりに出てきていますね。このようなことにたいして、どのような対応をしてゆけばよいのか、今後の日本でも大きな課題になっていくだろうと思います。

 220p
  人間優先という考え方は、デモクラシーのあり方にも関係してくるでしょう。ひと口にデモクラシーといっても、アメリカのような一種の平べったいデモクラシーもあれば、イギリス、フランス、ドイツのような階級を存続したままでのデモクラシーというのもありうるわけです。なぜそのような多様なかたちがありうるのかというと、デモクラシーというのは、手段、方法であって、それ自体が自己目的ではないからです。だから、デモクラシーには、デモクラシーに対する幻滅がはじめからビルト・インされているわけです。
 いっぽう、社会主義は、社会主義建設が目的であって、目的のためには手段を問わないという部分が必ず出てくる。つまり、社会主義に対する幻滅感が、あらかじめビルト・インされていない。だから、その目的に反するような行為は罰しなくてはならなくなってくる。
 そこが、デモクラシーと社会主義との非常に異なる点であると思います。しかし、政治体制というものは、やはりそうした幻滅が内蔵されていることのほうが安全弁になるだろうし、健全なシステムだろうと思います。


























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