2011年6月25日土曜日

機動戦艦ナデシコ(1996)観てる

1996年のアニメ、機動戦艦ナデシコを観てる。
今14話まで観た。

ダンクーガノヴァとくらべるとキャラの設定、見せ方、演出、構成(これはまだ途中だからわからないけど)がダンチだ。
先日このブログでダンクーガノヴァを酷評したんだけど、やっぱり作っている人も出来には不満だったらしい。ダンクーガノヴァの脚本担当だった首藤剛志は愚痴をこぼしている。
  WEBアニメスタイル_COLUMN第120回 『機動戦艦ナデシコ』オモイカネの電脳世界


ダンクーガノヴァと一緒にツタヤで借りてきたナデシコもたまたま首藤さんが脚本で参加してるアニメだった。この二作比べると、脚本の力ってすごいなあと思った。
ダンクーガノヴァは演出とか構成がほんとに死んでるんですよ。出来事と出来事がただ羅列されてるだけで全然つながりが感じられない。それに比べてナデシコはよくできてます。

「機動戦艦ナデシコ」には劇中劇で『ゲキ・ガンガー3』っていうロボットアニメが出て来る。ほぼ毎回主人公のアキトが劇中でそのアニメを見てる。で、その劇中劇で出てきたシーンやエピソードがただ流れてるんじゃなくて、本編の物語とよく対比されてる。例えばナデシコの3話「早すぎる『さよなら』!」。ゲキガンガーで主人公たちの仲間海燕ジョーが死ぬ名場面的な回がある。すると本編でも主人公の仲間ダイゴウジ・ガイが死ぬ。そこで描かれるガイの死はゲキガンガーでのジョーの死のように華々しいものではなくかなりあっさりとした死だ(なんとなく初代ミンキー・モモが死ぬ場面に似てるなあと思った。華やかな魔法で人の夢をかなえるモモがトラックというあまりに現実的な物に命を奪われるシーン)。ロボットでの戦闘が終了したのち、ガイはナデシコ艦内で、艦から脱走しようとした兵士たちと出会う。そして脱走がばれることを恐れた兵士の銃弾によってガイは死ぬ。エステバリスというロボットに乗ってゲキガンガーのように華々しい戦果をあげるガイが、ピストルというあまりに味気ないものに命を奪われるシーン。これの死はとうとつで意味がない話だって批判もあるようだけど、個人的には好き。


こういった感じでナデシコは劇中劇の出来事と本編の出来事がよく対比されてる。というか物語が進むにつれて『ゲキ・ガンガー3』は本編でもかなり重要な意味を持ってくる。


やっぱりアニメは面白いなあ。

StarChild:機動戦艦ナデシコ

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